我が家では父親の存在は崇められるように育てられた。

 テレビの絶対的主導権。父親の見ている番組を一緒に見る、それが当たり前だった。プロレス、野球、水戸黄門、野生の王国などなど……。今考えると、特別子供の教育上、いい番組を選りすぐっていたとは思えないが(笑)、とにかく自分の見たい番組は、父親がいない時に見るのだ。

 父親は某石油会社の社員で、3交代勤務だった。朝出・昼出・夜出を3日づつのローテーションで繰り返すという、かなりハードな勤務体制で、その分昼間父親が寝ている時は、子供ながらとても気を使った。父親はいつも「たいへんなんだ」子供心にそう思っていた。

 夜、昼出の勤務から帰ってくる父親に、必ずといっていいくらい用意された食事が「モツ煮」だ。「モツ煮」とビールが定番だった。これは普段の夕食には出てこない、父親のためのメニューである。「お仕事から帰ってくるお父さんの食事」、今でも居酒屋でモツ煮を見ると思うのだ。父親のモツ煮をすこーし分けてもらう、これが子供ながらたまらなかった。だから沢山食べるもんじゃない、特別なメニューなのだ。
 
 父親が出勤する時、母親は必ず玄関まで見送った。そんな母親の姿を見ながら、父親の存在感を感じ取っていたのかもしれない。子供というのは恐ろしいほど、冷静に物事を見ているのだと思う。大人の取り繕った笑顔や、感情的な怒り方はすぐ見破ってしまうのだ。その分、家庭においても母親の父親に対する接し方(もしくはその逆)によって、本能的に親がどういう存在なのかを感じ取るのだと思う。

少なくとも、「お父さんばっかりモツ煮でずるーい」とはいっさい思わなかったことを考えれば、両親の教育方針は間違っていなかったのだと思う。