孫ができるとじいちゃんは変わるとはよく言ったものだ。

 我が家のしつけはけっこう厳しかった。食事中のテレビ禁止、ひじを付かない、じか箸で食べない、残さない。就寝時間も、中学にあがるまで9:00と決まっていた。今思うとよくまあ守っていたなと我ながら感心してしまうが、当時それは守るべきものであり、それだけ素直だったのだろう。

 厳しい父親に対して、母親はとても優しかった。どうしても食べられないおかずを前にもじもじしていると、「いいわよ。残しなさい。」そう言ってくれた。両親の教育方針が違うと子供は混乱してしまいがちだが、母親のその一言が子供ながらにほっとするのだ。
 
 そのかわり、どうしても食べられない時だけという、自分自身の逃げ場でもあった。食事中のテレビはもちろん許されるわけがなかった。何年か経って母親に「うちは夕食時のテレビは厳禁だったよね」という話をしたら「その日学校であった出来事を話す場をもつためだった」と聞いた。

 しつけというのは、進学塾の短期集中コースのように短期間でできるものではない。幼い時からこつこつと積み重ねて初めて身に付くものだと思う。そして他人様の前に出た時、それが発揮されるのだ。身に付いていないものは必ずぼろが出る。自然と表れること、それがそもそもしつけの目的だったのだと今、思うのである。

 ところが、である。先日父親が妹の家に行き孫を囲んで夕食を食べようとしていた。父親の孫である私の姪がどうしてもアニメを見たいと言い張ったらしいのだ。「食事中はだめよ」と妹が厳しく叱咤した言葉にかさなるように父親から信じられない言葉を聞いたのだ。

「見たいなら見せてやればいいじゃないか。」

「へっ?」

妹は父親の言葉を疑った。あれほど厳しかった父親の言葉とは信じがたかったのである。父親にとって孫はとてつもなくかわいいのだ。孫の言うことはできるだけ叶えてあげたいのだ。孫の教育は親がやればいい、つまり「子供をしつける」という責任が必要ないのだ。確かに、実家に行くとひじを付いて食事をしている父がいた。私達に厳しく、自分にも厳しかった父親。娘が成長し、人に厳しく言う必要がなくなった今、自分に甘くなったんだな。そう理解するようになった。

厳しい父親でなくなった反面、少し寂しい気がした。